Excelで作られたドキュメントを見ると思うこと
ワープロの替わりとして五番の目のようなレイアウトにして使用する現場をよく見る。
あまり書籍やネットでその使い方を説明したものを見たことがないが、多くの会社で碁盤の目でワープロ代わりにExcelを使っているのを見かける。
Excelがファイル形式として今後も広く、長く使われることを前提にして、Excelが選択されているのだと思う。
ある程度表現力があり構造をもったドキュメントを作成する場合の選択肢としてExcelが使われるのは理解出来る。
しかしExcelでクラス図やシーケンス図を書くのはいかがなものかと思ってしまう。
クラス図はまだしもExcelでシーケンス図はいただけない。
UMLなどのモデルの価値を理解している人はモデルを洗練化することの意味を理解している。
何度も修正しながら考えを整理し、よりよいものにすることの価値を知っている。
UMLは思考のツールであり、コミュニケーションツールであることを。
しかしドキュメントの表現方法としてExcelを採用している人は、洗練化することを考慮していない。
最終的な結果としてExcelにシーケンス図が書ければいいと考えている。
ここで何が問題かというと 洗練化しないモデルはそもそもわかりきったものであることが多く。
「洗練化しない」と言うことはほぼ安定しているものか、参考程度のラフなもののどちらかである。
しかし、多くの場合ラフなものをExcelに書くケースは無いので、安定しているものを個々のドキュメントに書くケースが多い。
つまり、決まったことを書くためだけの表現としてUMLを使っている。
アーキテクチャやキーメカニズムとして「こんな構造、流れになる」という意図を伝えるためにクラス図やシーケンス図を描き、個々のドキュメントではその違いだけを書いた方が分かりやすいのだが、表現方法としてだけUMLを活用するケースでは、毎回同じようなクラス図やシーケンス図を書いている。
結局最終成果物の表現がUML となっているからUMLで書いているだけである。分かりやすいかどうか 使い物になるかどうかは 別のこと... である。
だからExcelで書かれたモデルはほとんど似たようなものが沢山書かれている 見ても大して役に立たないドキュメントになっていることが多い。
別にExcelが悪いわけではないが Excelのドキュメントを見ると反射的に そう思ってしまう....
コスト削減を叫びながら コストの垂れ流しをしている 現場によくある 「証拠品」である。